スリランカ西部州学校保健プロジェクト
国立国際医療研究センター 溝上 哲也
日 時:2010年5月1日(土)~6日(木)
訪問者:溝上哲也
訪問地:スリランカ西部州ホマガマ
5月3日(月)9時45分ホテル出発
今年度最初のスリランカ訪問。2006年に初めてこの地を踏んで、今回で10回目に達する。学校保健プロジェクトの実務を担っている健康増進財団(FHP)のスザンタとアミラがワゴン車でホテルまで迎えに来てくれる。アミラはこの2月に結婚し自覚が出たのか、青年の印象から一転、大人びた顔つきになっている。コロンボ郊外のサマラシンゲ教授の自宅まで約20分。いつものようににこやかに迎えてくれた。庭でとれたマンゴーをごちそうになったあと、プロジェクトの対象校に向かう。
学校1:Kanampella M.V.
幹線道路から分かれ、狭い道をしばらく走り、林の中の学校に到着する。門を入って正面の看板には、「私たちの環境は私たちの未来」(Our environment is our future)と書かれている。昨年2月、本プロジェクトが始まる前に一度、訪ねたことがある学校だ。当時の校長はこのプロジェクトに関心を示さなかったが、新しい校長に代わり対象校となった。
グレード10・11の生徒(日本でいえば高校1・2年生)が、長屋校舎の端の教室に持って集まってくる(写真)。隣のスペースでは別のクラスが授業を受けている。突然のことに、何が始まるのか、興味津々といった面持ちでこちらをみている。
サマラシンゲ教授が生徒たちに話しかける。「前回のワークショップ以降、学校や家庭で取り組んだことがありますか」。「校内に花を植えました」と女子生徒が答える。「授業がわからなかった同級生に教えてあげました」と別の生徒が続く(写真)。津々といった面持ちでこちらをみている。
このプロジェクトでは、子どもたち自身が、学校や家庭、そして地域の問題を幅広く考え、それをよりよい方向に変えるための行動を促すことを目指している。主役は、あくまで子どもだ。初めから知識を与えることはしない。サマラシンゲ教授は「変える(modify, change)」という言葉をよく使う。まずは自分を取り巻く身近な環境に目を向ける。それは、友達との関係であったり、学校のことであったり、家庭や近所で見聞きしていることかもしれない。子どもたちが困っていること、どうにかしたいと思っていることを話し合う。こうしたら、ああしたらと解決のアイディアを出し合う。このように、身近な問題意識から出発し、自分たちで話し合うという過程を、このプログラムでは大切にする。
何回かのワークショップの後、肥満や生活習慣が話題になった時を見計らって、肥満度の指標であるボディマスインデックス(BMI)や生活習慣が健康に及ぼす影響について、ファシリテータである健康増進財団(FHP)のスタッフが教材を用いて説明する。「変える」ことに意欲的な生徒たちは、学んだ知識を活用しようと早速、行動を始める。このプロジェクトのモデルとなった、小林博先生(北大名誉教授)が取り組んできたスリランカ南部でのJICAプロジェクトでは、子どもたちが体重計と巻き尺を持って地域に繰り出した。住民の体格を測り、肥満や痩せの人には適正な体重を保つよう助言した。子どもたちがメッセンジャーとなり、保健の知識や行動を家族や近所に広げていく。蚊がマラリアなどの感染症を媒介するのに対し、子どもは健康を地域社会に届ける担い手だ。
学校で学んだことを家で話し実践することで家族の健康も守られる。それはなにも特別なことではない。昨年、新型インフルエンザが流行った時、日本の子どもたちは学校で手洗いの仕方を学び、忠実に実行した。帰宅したとき、子どもから手洗いの仕方について「指導」を受けたという話も聞く。子どもから教えられると、親は素直に従うらしい。こうして保健行動が「子どもから親へ」(Child to Parent)、「子どもから地域へ」(Child to Community)と伝播する。その波及効果が学校保健のおもしろいところだ。
「今日は一緒にプロジェクトを進めている日本の研究者が来ています。質問をした人に、これから学校で使う体重計と血圧計を受け取ってもらいます。何か聞きたいことは」とサマラシンゲ教授。しかし、生徒たちはお互い顔を見合すばかりで、誰も手を挙げない。まだ2回目の集まりで、慣れていない様子だ。プロジェクトで購入した健康機器は校長に手渡す。これらがこの学校で十分に活用されるには、もう何回かワークショップを重ねることになるだろう。
外に出ると、低学年の児童が木陰で輪になって授業を受けている。青空教室だ(写真)。男の子が天秤を持って輪の中に立っていることからすると、どうやら理科の授業のようだ。私がカメラを構えると、子どもたちが一斉にこちらを向く。
学校を去る間際、先生たちが運動場を指さしニヤニヤしている。鳥が校庭に卵を産んだというのだ。目を凝らすと、草むらに白い鳥がいる。私たちが近付くと、急いで校庭の端の方に逃げていく。しかし、卵のことが気になる様子で、遠巻きにこちらをみている。鳥がいた場所には、小さな卵が4つ産み落とされていた(写真)。炎天下の運動場で、はたして無事に雛がかえるものだろうか。私たちがその場を離れると、親鳥がすぐに卵のところに戻ってきた。
FHPスタッフのスザンタが、ワークショップの持つ可能性を話してくれた。ある時、家庭内での暴力がワークショップで取り上げられた。家庭内暴力は子どもが経験する重い問題のひとつだ。他人には話しづらく、子どもの心に暗い影を落とす。ある子が、「お父さんがお酒に酔っ払ってお母さんに暴力を振る。ふだんは優しいけれど、お酒を飲むと..」「でも、お父さんにお酒をやめてとはいえない」。他の子が、「じゃ、あまりたくさんは飲まないようにいってみたら」と提案する。その結果はどうだったのか、後日話し合う。うまくいくケースもあるが、そうでないことも多い。しかし、悩みを理解しようとする周囲の姿勢がその子の気持ちを和らげ、困難を乗り越える力さえ与えているようだ。そんなことをスザンタはワークショップから感じ取ったという。バナナを頬張りながら、次の学校に向かう(写真)
学校2:Tamil C.C.
ホマガマ地区には少数だが、タミル人の子どもたちが通う学校がある。そのうちの1校がパイロット(予備調査)としての対象になっている。研究上の制約で本調査の対象には含めていないものの、多数民族であるシンハラ人とは言語や社会背景が異なるタミル人の学校でも、今回のアプローチで学校保健を進めることができるのかといった観点から注目している。コロンボ近郊のタミル人はシンハラ語を理解できるものの、カウンターパートであるシンハラ人はタミル語を使いこなせないという制約がある。このことはワークショップの進行に影響しないだろうか。
幹線道路を車でしばらく走ったあと、右手に折れると、まもなく校舎が見えてきた。校庭を左手に見ながら進み、校門を入って車を降りる。午後1時過ぎ。強い日差しだ。先ほどの学校と同様、木陰で授業が行われていた(写真)。中学生の頃を想い出す。ある夏の暑い日、英語の教師が「(風がよく通る)瀬戸で勉強しよう。みんな椅子を持って」と提案した。校舎の間を吹き向ける風の心地よさが、今でも心に残っている。サマラシンゲ教授も同じ経験があるのだろうか。「青空の下での授業は好きだ」と嬉しそうに話す。
青空教室はしかし教室環境が良くないことの裏返しでもある。特に室内の暑さはこたえる。林の中の学校はまだよい。しかし、直射日光を受ける校舎や風通しのわるい教室にいるのは耐え難い。子どもたちに折り紙を教える機会があったが、慣れない上に暑さで大量の汗をかき、脱水気味でフラフラしたことがある。また、長屋づくりのためとなりあう教室の声が混ざり合うことや、黒板が見えにくいといった、学習を妨げる要因はそのほかにもある。壁と金網に囲まれた教室にも心理的抵抗を覚える。すぐに改善することは難しいとしても、学校保健を推進するためには校舎・トイレ・ゴミ捨て・手洗い場・水飲み場・校庭などの施設の状況も目を配っていかなければならない。
校長室に招かれ、しばらく懇談する。「1200名の在校生がいるが、毎日、学校に来ているのは900名くらいで、残りの300名はドロップアウトしている」「先生がコロンボ市内の学校に移ってしまい、教員が足りない。これは私にはどうしようもできない」と現状を嘆く。午後の強い日差しが部屋の温度を上げる。校長先生は天井のファンをつけ、窓を開け放つ。
この学校の生徒の9割は近隣のゴム園(rubber estate)の子どもたちである。広いゴム園の中に村が散在していて、そこから長時間かけて通学しているのだ。1日の給料はわずか500ルピー(日本円で450円)。同じタミル人でも、コロンボ市内在住者は商才があり裕福な人が多いらしいが、ゴム園や紅茶園で働くタミル人は重労働のうえ低賃金である。親の手助けのため学校に来なくなった子どもを「ドロップアウト」と呼ぶのは適切でないかもしれない。しかし、比較的平等で教育熱心なこの国においても、貧しさのために学校に来ない子どもが少なからずいるという現実がある。日本でも格差問題が叫ばれているが、途上国においてその差はさらに大きく、「すべての子どもに教育を(Education for all)」にいたる道のりは遠い。
校長室に学校保健推進委員の生徒たち(女5名、男4名)を呼んで、ワークショップが始まった(写真)。青少年の精神療法を専門とするサマラシンゲ教授は、時に神妙な顔つきで、時に冗談を混じえながら、生徒たちを巧みに話に引き込んでいく。私の存在を気にしてか、最初はぎこちなく座っていた生徒たちも、次第に教授の話に目を見開き、うなずき、そして問いかけに懸命に答えようとしはじめる。このワークショップをつうじて、子どもたちの心から何かが引き出され、それが学校や社会を変えたい、という思い(エネルギー)に変換されるのかもしれない。
教授は前の学校と同じように「日本の医師に何か聞いてみたいことは」と問いかける。ひとりの女子生徒が、「日本はどんな国ですか。スリランカとの違いは」と英語で尋ねてくる。「日本は車や電化製品が素晴らしい。スリランカは紅茶や果物が安くておいしい。マンゴーを日本で買うと、1個数千ルピー(数千円)はするかな」。「平和なのも日本のいいところ。でも、私の祖父は広島市内の学校で国語を教えていた時、原爆で亡くなった。だから私は祖父を知りません」。「広島は復興しましたか」と生徒。「戦争で大勢の人が負傷し家を失ったけれど、力を合わせて街づくりをして、今では立派な都市に再生しています」「(原爆を落とした)米国とも友好的な関係をつくり協力してきました」「(スリランカも)長い内戦が終わったのだから、これからは皆さんの力で平和な社会を築いてください」。内戦終結後、自爆テロがぴたりと止んだところをみると、この国の人々が平和を求める気持ちは強いのだと思う。ワークショップの最後に男子生徒が「自分たちの力で社会を変えます」と言うと、他の生徒も大きくうなずいた。
授業がおわり、生徒たちはゴム園にある自宅に帰っていく。私たちも校長と3名の女子生徒と一緒に、ワゴン車で彼女らが暮らす村を訪ねることにする。幹線道路の反対側にあるゴム園の入口から、山の斜面を切り開いて造られた凸凹道にゆっくりと車を進める(写真)。しばらくいくと右手に経営者のバンガローがみえてくる。木に隠れよくみえないが、大きく立派な建物だ。さらに進むと、大きく視界が開けた。彼女らの家は前方右手にみえる山向こうにあるという。
学校から車で20分、峠を下ったところにめざす村があった。子どもの帰りを待っていた家族が私たち一行を迎えてくれる。子どもたちは毎朝この村から1時間半かけて学校に通う。授業を受け、昼食もとらずに同じ道をまた帰っていく。なんというエネルギーだろう。ドロップアウトするのも無理はない。むしろ通い続けていることの方が不思議なくらいだ。
子どもたちの参画によって健康的で楽しい学校・地域社会をつくろうとする学校保健プロジェクトの試みは、子どもたちに、そしてこの村に何かを届けることができるだろうか。彼女らの白い制服がひときわ頼もしく思えた。